令和7年度 大学院工芸科学研究科 入学宣誓式(秋季) 学長祝辞

 京都工芸繊維大学大学院に入学および進学された皆さん、本日は誠におめでとうございます。本日ここに入学宣誓式を迎えられたのは、大学院博士前期課程30名、博士後期課程23名です。これまで皆さんを支えてこられたご家族や関係者の方々に、本学の教職員を代表し、心からお祝いを申し上げます。本学大学院での時間が充実したものとなることを学長として心より願っております。

 少し古い話をいたします。1865年生まれで20世紀初頭に日本の原子核物理学を開いた長岡半太郎という人がいます。大阪帝国大学の初代総長でもあります。彼は原子核の周りを電子が回るという今では常識となっている原子模型を1904年に提唱した物理学者です。日本の高校で物理学を学んだ方は教科書に名前があったのを覚えている人も多いと思います。長岡半太郎の原子模型の後に、実験結果に基づいたラザフォードの原子模型が示されました。そして、それが、制動放射の矛盾を解決したボーアの原子模型につながり、量子力学の幕開けとなりました。

 日本で物理学の研究が始まった頃に、長岡は物理学を学び始めました。彼は学生時代に「日本人に科学ができるであろうか」と悩みました。もともと西洋のキリスト教精神に基づく近代科学が、日本人にできるだろうかというのが彼の悩みでした。一年間休学し中国の古典や思想、漢文などを学ぶ漢学に転向しようとまで考えました。しかし、彼は決意を新たにして物理学を究めていきました。

 これまで皆さんも、日常の感覚から大きく外れ日常の経験から独立した基礎理論や考え方を、努力して学んでこられたと思います。例えば、私の専門の電子工学でいえば、日常の感覚とは全く相容れない量子力学があります。私はその一端を何とか理解し、学生実験や卒業研究において、量子力学で説明できる事実を経験し、納得してきました。

 本日、大学院に入学される皆さんは、新たな段階に進みます。学部での学びとは異なり、長岡半太郎でいえば、原子模型を新たに提唱する段階に入ります。大学院では、新しい事柄や知識について価値創造することが主眼となります。基礎研究を進める人は、知識の拡張、新たな知識の創造、科学的発見に取り組みます。応用研究を進める人は、自然の原理や法則に基づいた新たな事柄の実現に取り組みます。新しい事柄や、知識を創造するときの思考法は、基礎理論の時とは異なってきます。新たな発想法、思考法を体得する必要があります。それが大学院での学びです。

 日本の茶道や剣道などでは修行の段階を表す言葉に「守破離」があります。「守」は師の教えや型を忠実に守る段階、「破」は基本を応用し、独自の型を創り出す段階、そして「離」は型から離れて独自の境地を確立する段階です。これと同じく大学院での学びは、基礎理論を応用し、独自の型を作り始める段階と言えます。この段階では、それまでの演繹や帰納とは違った思考法が必要になってきます。

 ここには留学生の皆さんが多くおられます。それぞれの文化に、新しいことを生み出すときの姿勢や考え方について、いろいろな表現があると思います。世界的な流れで言えば、新しいものごとを生み出す思考として、デザイン思考やアート思考などが提唱されてきました。西洋文化で育まれた論理学では、演繹と帰納に加えて仮説形成(abduction)を、新しい事柄を生み出す際の論理、すなわち探求の論理学としています。大学院では、基礎を学ぶ姿勢に加えて、それとは違った姿勢をとってみてください。異なる視点を知るために仲間との議論や交流も重要です。

 大学院で皆さんが自ら問いを立て、仲間と議論し協働し、さらに異分野や異文化の視点を学び、新しい事柄や知識について価値創造に取り組むことを期待しています。本学大学院での皆さんの活動が実り多きものであることを期待しています。皆さん、誠におめでとうございます。

令和7年9月25日
京都工芸繊維大学長
吉本 昌広